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信州大学

信州大学は旧制松本高等学校、新八医科大学である旧制松本医科大学(旧松本医学専門学校)、旧制長野県立農林専門学校(旧長野県立農林専門学校)、旧制上田繊維専門学校(旧上田蚕糸専門学校)、旧制長野工業専門学校(旧長野高等工業学校)、旧制長野師範学校等を統合し、1949年に新制大学となった。全国に1つしかない繊維学部があるのは、信州の地がかつて生糸の産地であった土地柄を反映している。また、国立大学の中で最も高い場所(農学部:標高773メートル)にキャンパスを有する大学である。

本部、教養部と人文、経済、教育、理、医、工、農、繊維の8学部からなる。1949(昭和24)年5月31日、文理、教育、医、工、農、繊維の6学部をもって設置された。新学制による国立大学設置の原則(1848年7月)は、県内高等教育機関の統合により1県1大学制とし、各地方大学に教養、教育に関する学部を設置し、名称は県名を使用するなどとした。長野県内には、国立の松本高等学校、松本医科大学、松本医学専門学校(以上松本市)、上田繊維専門学校(上田市)、長野工業専門学校、長野師範学校(以上長野市、師範学校松本市に女子部)、県立の農林専門学校(上伊那郡南箕輪村)。女子専門学校(長野市)と9校の対象校があった。繊維専門、師範、青年師範、松本高校の関係者はそれぞれ単科大学昇格をめざし、農林専門の県立農科大学案もあったが、県当局の総合大学案があり、信州大学設立同盟会は女子法経学部案のあった女子専門および上田繊維単科大学構想を別個とする方針を決めた。しかしこの単科大学設立運動は、前記原則によって成功せず、信州大学は3市1村に広がる6学部(松本市に本部と教育学部分校)で発足した。しかし、一般教養課程が3学部1分校で行われるなど総合大学実質に遠く、設立時から改革が要請されていた。教養課程の統合は1951年から問題にされたが、複雑な学内外の諸事情があり、1965年6月にようやく決定し、教養部を本部のある松本市に新設し、各学部学生の教養課程の1年間を担当(医学部のみ2年間)することになった。また教育学部松本分校を廃止し、文理学部改組により、人文、理学の2学部が新設され、さらに旭町キャンパス内に、医療技術短期大学部(1974年)と、経済学部(1978年)が新設された。
大学院を理・医・工・農・繊維の5学部に、専攻科を人文・教育の2学部に置き、付属施設に医学部付属病院、順応医学研究施設、農学部付属農場、演習林、理学部付属諏訪臨湖実験所、教育学部付属志賀自然教育研究施設などがある。


[編集] 沿革
明治6年 長野県師範講習所
明治43年 上田蚕糸専門学校
大正8年 松本高等学校
昭和18年 長野師範学校
昭和19年 松本医学専門学校、長野工業専門学校、長野青年師範学校、上田繊維専門学校
昭和20年 長野県立農林専門学校
昭和23年 松本医科大学
昭和24年 松本医科大学、松本高等学校、長野師範学校、長野青年師範学校、松本医学専門学校、長野工業専門学校及び上田繊維専門学校を包括し、長野県立農林専門学校を併合して新制信州大学となる
昭和41年 文理学部が改組され、人文学部及び理学部が設置
昭和48年 松本市内に旭キャンパスが完成、人文学部などが移転
昭和53年 人文学部が改組され、人文学部と経済学部が設置
平成13年 山地水環境教育研究センター設置
平成14年 医療技術短期大学部が転換され、医学部に保健学科が設置。山岳科学総合研究所設置
平成16年 国立大学法人法により、信州大学は、国立大学法人信州大学が設置する国立大学とされた。サテライト・ベンチャー・ビジネスラボラトリー、産学官連携推進本部設置
平成17年 法科大学院(法曹法務研究科)カーボン科学研究所 設置

-フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』-より
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[ 2008/05/10 ] | 信州大学 | CM(0) | TB(0)
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